有田市立 箕島小学校

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校章・校歌

「校章」

「校歌」

  文成中学校 校歌
   作詞 平峠茂一 作曲 中村外治

一、岩室のおくるそよ風       二、糸我野ゆ長きかけ橋
  橘の香となるところ         わたり来て輝くいらか
  わが校よ 文成校よ           わが校よ 文成校よ
  朝窓に若鳥うたい          若鳥の心はかけり
  庭の日に若駒きそう         若駒の力はおどる
  わが校よ 文成校よ           わが校よ 文成校よ

三、若鳥のわれら不死鳥       四、日に新た日日にあらたに
  若駒のわれらは天馬         いそしみの姿ぞ清き
  わが校よ 文成校よ           わが校よ 文成校よ
  ゆかんいざはるけく高く       うら若きものの天地
  われに待つ思いはとげん       うら若きわれらの月日
  わが校よ 文成校よ           わが校よ 文成校よ

沿革

昭和22年 4月 1日 宮原村・糸我村中学校組合立文成中学校を創立
昭和22年 4月20日 宮原小学校より3教室、糸我小学校より2教室を借り受け仮教室で始まる
昭和22年 5月 3日 開校式(生徒数190名)
昭和23年 1月20日 校舎新築起工式
昭和23年10月 9日 新校舎落成記念式
校名 『文成』の由来
 当時の宮原村の村長であり円満寺の住職でもあった太田義隆氏により『文化を成就する』ということからこの2文字をとってつけられる
 意味するところは、「平和国家を築く青少年を教育する学校」ということであり、未来を築く子どもたちのすこやかな成長を願い、教育文化を高め、心豊かな人づくりを目標にしてつけられたものである
昭和28年 7月18日 有田川大水害
 当校軒下浸水、流失を免れる  泥土は1メートル以上に達する
昭和31年 5月 1日 有田市制施行に伴い、有田市立文成中学校と改正
昭和32年 5月 創立10周年
昭和33年 1月 「文成」の石碑 玄関前に建立
 創立10周年記念として、同窓会から寄贈される   揮毫 伊藤玉鳳 氏
昭和40年10月 8日 校舎落成(旧校舎)
昭和44年 5月27日 「剣士の像」建立   制作者 谷口利治 氏
昭和44年 5月30日 体育館落成式
昭和54年 7月14日 プール完成
昭和56年 3月31日 校舎増築(東校舎)完成
昭和60年 7月19日 育友会報「かけはし」第一号発行
 名前については、育友会員の投稿の中から、校歌にも歌われている「かけ橋」を採用する 校区を結ぶ力強いかけ橋であると同時に、育友会全員の心のかけ橋とならんことを願ってつけられる
平成 5年 8月30日 旧校舎大規模改修完成
平成 8年 5月 創立50周年
平成18年 5月 創立60周年
平成22年 3月 新校舎建設着工
平成23年 3月 新校舎完成
平成24年 4月 新校舎に移転

地域と学校の概要

 和歌山県の中部に位置し、海と川と頂上まで続く蜜柑畑の見える山の美しい有田市の東部に本校がある。校区には、その昔、都から熊野詣への熊野路が通り、歴史的な遺跡がある。
 昭和28年7月18日の大水害で地域も学校も壊滅状態になり、復旧には歳月と経費を要したが漸く復興し、近隣の町村が合併して、昭和31年5月有田市ができた。地域もかつては、川の両岸に開けた水田での米作と山畑での柑橘栽培による専業農家が殆どであったが、近年農地の宅地化が進み、居住地帯が増加したため市街化現象が生じ、他より転住した勤労者や兼業農家が多くなり、変容してきている。しかし、農村地帯の土壌に芽生えた純朴さと温和で善良な勤勉さが、地域の人々の生活様式から知ることができ、教育にも非常に熱心な地域である。
 本校は、戦後の学制改革により昭和22年5月3日宮原村糸我村学校組合立文成中学校として改校し、以来、宮原と糸我の2小学校区の生徒が通学している。平成22年4月より、グラウンド南側に新校舎建設着工し、平成23年3月に完成した。
 平成23年4月より、新校舎に移転。生徒数は143名で8学級(うち2学級は特別支援学級)、本市では中規模校である。
 生徒は全体的に明朗で温厚実直である。学習意欲も高く学校行事や生徒会活動、部活動にも真面目な態度で取り組むことができる。

生徒数

 
1年生 2学級38名
2年生 2学級59名
3年生 2学級46名
特別支援学級 2学級 3名
 合 計    143名
令和5年9月10日現在

日課表

部活終了・下校時刻(年間予定)

ナビゲーション

有田市立文成中学校

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